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【意識高い系の極】
瞬間的なプレッシャーなくして成長はないと思った話。

この記事を書いてる時点では30歳だが、ここ2~3年心臓が口から飛び出そうなぐらい緊張する瞬間がほとんどなくなっている。

これが良いのか悪いのか分からんけど、成長という観点から言わせてもらうと悪いのではないかと思っている。

個人的に成長するためには瞬間的なプレッシャーが必要不可欠だと思っているのだが、俺自身成長を促す瞬間的なプレッシャーを思うように感じれていないというのが現状である。

人としてのレベルは瞬間プレッシャーを乗り越えた数で決まる(多分)

そんなわけで今回は自分の戒めも兼ねて瞬間的なプレッシャーを感じなければ成長はないと思った経緯や対策などを綴っていきたい。

永続的なプレッシャーへの耐性

俺も以前までそうだったが、嫌な仕事でもダラダラ続けることは意外とできてしまうものである。

余っ程、仕事が嫌な場合や明確な目的がない限りを除いて、嫌な仕事でも続けられてしまうのが永続的なプレッシャーの怖いところである。

これは我慢することが美徳とされてきた教育の弊害かと思う。

嫌な仕事であっても耐えることこそ正義(?)みたいな洗脳に俺自身も陥っていた節はあるのだが、別に耐えることは大して偉くない。

むしろ勇気を振り絞って意見を言ったり、思い切って辞めるほうが却ってストレスがかかる。

つまりそっちのが瞬間的なプレッシャーはかかるが、新しい道が開けるし自身の成長に繋がる。

不満より不安を感じるマインド

極論、何かしらを成し遂げたいと思うのであれば不安を感じたほうがいい。

不安を感じれば自然と緊張するし、その緊張が自分を成長させる。

だがしかし自らが率先して不安になりたい奴なんていない。

なぜなら不安を感じるのはストレスが大きいからである。

不安は言い換えれば瞬間的なプレッシャーであり、成長したいと思わない限り感じる必要はない。

そしてそんな瞬間プレッシャーと双極を成すのが不満という名の永続的なプレッシャーである。

人生選択において不満と不安のどちらを感じて生きたいかという話になれば、不安よりも不満を感じて生きたほうが圧倒的に楽である。

不満から解放されても何も残らない

過去に俺も不満を抱えながら人生を歩んでいた時期はあるが、不満を抱えて生きても意味がない。

不満から解放されても何も残らないが、不安は違う。

不安になると色々と準備する。

大会であれば練習するし受験であれば勉強するので、頑張った過程が残る。

なので結果はどうであれ成長したければ不安になる道を選ぶのがマストでありベスト。

成長したい気持ちがない人は一生、不満を抱えて仕事の愚痴を言い続けて一喜一憂していればいいだけの話。

瞬間的なプレッシャーの恩恵

そもそも成長したくない人にとって瞬間プレッシャーは必要ないが、瞬間プレッシャーには成長すること以外のメリットがある。

それは計画性が身に付くことである。

個人的には瞬間プレッシャーがあったほうが物事を計画的に進めることができると思っていて、計画性とは逆算できることと同義なので、何事も戦略的に考えることができるようになる。

趣味の要領で漠然と自由気ままに物事を進めることの有意義さも重要だが、基本的に何事も計画を立てながら進めることで時間を効率良く使うことができる。

時間をどう使おうかは個人の自由だが、俺は出来るだけ時間を無駄にしたくない。

目指すべき目標があれば張りになる

今思うと部活の大会や試験などがあったから頑張れた節はあるので、成長したいしたくない問わず、時間を気にせずにダラダラと物事を進めることは、たとえ趣味であってもナンセンスと思うようになってきた。

つまり体育会系あるいは文化系な趣味であれ、試合や発表会などがあったほうが計画的に動くような気がする。

このブログも最初は趣味で無計画でルールを決めずに書いていたが、期限とか締切を決めてからのほうがメリハリがあってなんだかんだ楽しい。

成長と計画性はトレードオフ

俺は元々、計画性がなく行き当たりばったりで時間に対する価値基準が低くく、遅刻をすることに対する罪悪感があまりなかった人間だった。

今思うと時間を大事にしないくせに理想の人間像を追求したり、漠然と成長したいと思ったりなど意識だけは無駄に高い人間だったことに矛盾を感じている。

地に足が着いていない状態なのに上空ばかり眺めていて、自分の足元を見ないまま年齢を重ねてしまった気がしている。

結局のところ自身の短所である計画性のなさと向き合うことから逃げていて、ただただ漠然と無計画に自分がやりたいように物事を進めていたのだが、30歳という自分の年齢を自覚したぐらいから何も結果を残せれていない自分に危機感を覚え始めた。

成長ではなく成功のための努力を

つまり計画的に物事を進めるという瞬間的なプレッシャーから完全に逃げていて、知らないうちにズルズルと結果が出ない現状に不満を感じながらも、その時点で成長は止まっていることに気づかず、自分で自分を追い込む術を知らないまま頑張っていることに満足していた。

ノンストレスで闇雲に努力を積み上げても努力をしている自分に酔うだけなので、ある程度の瞬間的なプレッシャーで自分にストレスを与えることが重要。

目標達成に対して逆算思考を生じさせることで物事を戦略的に進めるようになるのではないかと感じている。

今までは過程に目がいきがちだったが、結果にフォーカスすることで何をすればいいのかが明確になり、自然と自分に足りないものを補おうとするようになる。

これが本当の意味での努力なのかもしれない。

平坦な道ほど退屈なものはない

というわけで今回は瞬間的なプレッシャーを感じなければ成長はないという俺への戒めの記事となってしまったが、瞬間プレッシャーは不安をただただカッコよく言っただけである。

なかなか自分で瞬間的なプレッシャーを感じるような選択をすることは難しいが、時には不安を感じなければ人として終わってしまうんじゃないかと思っている。

不安を感じない人生は何よりつまらないと思うから、恐れずに不安を感じに行ってほしい。

不安を感じ過ぎて鬱にならない程度に。無理以上、無茶未満。

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