20代後半辺りからあまりお金を使わなくなったせいで、毎月の給料から天引きで貯金しなくても自然とお金が貯まるようになった。
これは意図的にお金を使わないようにしたのではなく、自然とお金を使わなくてもいいようなライフスタイルになっていたというのが、正しい結果論である。
毎月の給料日が待ち遠しかった20代前半から中盤の頃の自分とは大違いであり、今現在のお金を使わなくてもいいライフスタイルの方が強がりでもなんでもなく充実している。
というわけで今回は俺が行き着いたお金を使わなくても人生を豊かに過ごすライフハックを紹介したい。
楽しいと思うことは昔と変わらない
はじめに言っておくが、単純に年齢を重ねて欲がなくなったわけでもなければ、物事を達観してるわけでもないということを冒頭に伝えておきたい。
この記事を書いてる時点では30歳なのだが、30歳にして自分が本当に楽しいと思う趣味のロジックが明らかになってきた。
何年、経っても自分が楽しいと思う根本の部分は変わらないし、楽しいと思う要素を削ぎ落としていくと「こんなことで楽しいと感じていたとは…」とハッとさせれられる。
小学校の頃にハマっていたレゴブロックを今やってもワクワクが止まらない気がする。
意外と自分が楽しいと思う骨組みはシンプルであり、心から楽しいと思うことにお金なんてそこまで重要ではないという結論に至った。
探究的or生産的な趣味はお金がかからない
というわけで今回、俺が提唱したいのは探究的or生産的な趣味を持つことで、お金を使わなくとも有意義に過ごすことができるという持論である。
探究的or生産的な趣味を持つと、30歳で貯金が100万を下回りそうになっても有意義に過ごすことができるし、出ていくお金が少ないので、勝手にお金は貯まるからウィンウィン。
お金を使わなくても楽しめる趣味が多かったという結果論。
絵を描いたり、文章を書いたりなど自分で創意工夫を加える楽しさを見出せるかどうかが、探究的or生産的な趣味の第一歩。
娯楽的or消費的な趣味は頭を使わない
俺がたまたま行き着いたのがお金を使わない趣味だったというのもあるが、個人的にお金を使うわないと楽しめない趣味しか持っていないと、人としての魅力が下がってしまう気がしている。
言い過ぎかも知れないが娯楽的or消費的な趣味しかない人と話しても、つまらないという俺の独断と偏見。
お金を費やさないと楽しめない趣味しかない人は思考が止まっている気がする。
娯楽的or消費的な趣味は刺激を受け取るだけに過ぎない。
楽しさの種類が違うだけ
そもそも探究的or生産的な趣味とは一体、何なのか?
俺が定義するに探究的な趣味は知る楽しさであり、生産的な趣味は作る楽しさが醍醐味だと思っている。
そしてその対極にあるが、娯楽的な趣味と消費的な趣味である。
個人的な見解として探究的の反対は娯楽的で、生産的の反対は消費的であり、これは同じ趣味でも着眼点の違いで捉え方が容易に変わる。
つまり趣味は受動的または能動的に楽しむかで色々な楽しみ方ができるし、インプットする楽しさとアウトプットする楽しさとでは楽しさの質も違う。
探究的or生産的な趣味の実態
探究的な趣味とは?
まずは探究的な趣味について説明していく。
俺の趣味はバラエティ番組を見ることなのだが、バラエティを探究的に見るか、娯楽的に見るかで楽しさの種類が異なる。
ちなみに俺はメモをとりながらバラエティを視聴しているのだが、バラエティ番組にはフレーズやテンポ、フリオチなどトーク術の原石が無数に鏤められているので、俺はお笑い芸人の一挙手一投足を見逃さずにメモに残し、自分に落とし込んでいる。
こんな風にバラエティ番組を探究的に見ることもあれば、単純に娯楽的に見て笑いながら楽しむこともあるのでバラエティは二重の楽しさが味わえる。
生産的な趣味とは?
つぎに生産的な趣味について説明していく。
生産的な趣味と消費的な趣味の違いは何かしらを生み出せるか否かにある。
つまり能動的にアウトプットする楽しさを見出せるかが生産的な趣味の大きな分かれ道である。
長年、バラエティ番組を探究的に見ていると「自分だったらこういう展開にしたい」とか「俺だったらこういうオチにするな」みたいにバラエティ番組を見て笑って楽しむだけでは飽き足らず、自分もバラエティ番組みたいなおもしろいコンテンツを作ってみたくなってくる。
どんな趣味も探究的に楽しむと、ゆくゆくは自分でやりたくなってくると思っている。
探究的な趣味を極めると生産的な趣味になる可能性がある。
あるいは元々、何かを作ったり書いたりことが好きな創作意欲が高い人は別だが、個人的に工作や絵を描くとかは生産的な趣味の原点だと思う。
娯楽的or消費的な趣味の実態
娯楽的or消費的な趣味は金銭的な終わりがないので、いくらお金があってもキリがない。
というのも娯楽的or消費的な趣味はただの刺激の受け取りにすぎないし、何かを与えられることでしか楽しみを見出せていない。
つまり娯楽的or消費的な趣味は良くも悪くも思考が停止していて、基本的には何かしらを欲するばかりである。
良質な物やサービスに惹かれやすく「もっと格好良い服が欲しい」とか「もっと豪華な旅行に行きたい」になってくるし、与えられることでしか楽しみを見出せないとお金に糸目がなくなって、従来の刺激では楽しめなくなってくる。
徐々に慣れと飽きが生じてきて、より高い刺激を求めるというのが娯楽的or消費的な趣味の末路だと思う。
楽しいと美味しいは似てる
ここまで聞くと人と関わることが嫌いな人間に見えるが、友達と遊んだりするのも好きである。
詰まるところ楽しさの種類が違うだけである。
楽しさの種類が違うことに気がついてからは、楽しさを一種の食事みたいに考えるようになった。
脂っこくて味の濃いジャンクフードみたいなただただ快楽的で中毒的な楽しさも時には必要であるが、個人的には出汁が効いてて風味や素材の味を生かした日本料理みたいな奥深い楽しさも捨てがたい。
つまり楽しさにも色んな味があって、食べたいと思う味があるように自分が求めている楽しさも異なる。
もっと美味しい(楽しい)味を追求することは悪いことではない。
ちなみに友達と遊ぶのは甘くて美味しい(超感覚)
自分で料理してみたいと思うかどうか
美味しい(楽しい)と思った味を再現する楽しさも忘れてはいけない。
つまり味を追求する楽しさと味を再現する楽しさは楽しさの種類が違う。
個人的に何でも高温で揚げて化学調味料を振りかけて完成するジャンクフードよりも、蕎麦や寿司のような日本食のほうが作ってみたいと思うし、何より探究心がそそられる。
先ほどにも書いたように探究的な趣味を突き詰めると生産的な趣味になる可能性があるので「俺にもできるかも」と思えたらこっちのもん(知らんけど)
想像的かつ創造的な人間でありたい
というわけで今回はお金がなくても探究的or生産的な趣味さえあればいいというライフハックを紹介させていただいたが、お金があるなしに問わず能動的に何かを生み出す趣味は1つぐらいは持っておくべきだと改めて思った。
俺の中で娯楽的or消費的な趣味は金銭的な終わりがない一方で、探究的or生産的な趣味は思考的な終わりがないという結論に至ったので、何でもいいから考えたり作ったりする趣味を持つことがお金を使わなくても豊かに人生を過ごせると思った次第である。
もしお金を使うことがあっても、躊躇せずに大学に行ってしまうような歳のとり方をしたい。