自分は30歳になる年の半分を定職に就かずにニートとして過ごした。
ここ数十年、学校や仕事に行くことが当たり前になっていた自分にとって、学校にも仕事にも行っていない半年間は新鮮そのもので、かなり稀有な時間だった。
こんなに休んだのは学校の夏休み以来であり、このニートとして過ごした半年は今のところ自分の人生史上最大の長期休暇である(どうでもいい)
というわけで今回はニートとして過ごした半年間の感想をただただ綴っていく。
失業手当に幻滅する
そもそも自分が半年もの間、ニートでいられたのは失業手当という神待遇を受けられたからなのだが、これが意外と期待外れだった。
これは自分が失業手当を頼りにし過ぎていたことが原因なのだが、失業手当で当分のは生活に困らないと思いきや、そうはならなかった。
結局のところ税金とか保険や年金等の支払いでかなり持ってかれるので、額面上の失業手当の金額をそのまま鵜呑みにしてはいけないことを悟った。
今までは会社が負担してくれたのだが、個人となるとその額面の金額を見た一瞬、時が止まる。
こういう税金とか保険や年金などの支払いはお金を払った対価を実感できないので、物凄く損した気分になる。
どうせなら形や経験として残るものにお金を払いたいと思うのは自分だけではないはず。
働かない人への風当たりは強い
保険とか年金の支払いは忘れた頃にやってくる不意打ちな感じが余計にメンタルをエグってくる。
言うなれば、そこそこ強めのローキックを喰らってる感覚である。
今までは会社という組織に守られていたのだということを身を持って知った。
失業手当は所詮、就職が決まるまでの凌ぎにしかならない。失業手当を当てにし過ぎてはいけない。
この世の中は働かなくても良いように作られていない。日本の社会は上手く出来ているなと感心した。
日本に住む以上、何にかしら国に貢献しなければならない。
ニートへの洗礼を浴びる
可能であればこのままニートとして生きたい気持ちも山々ではあったが、ニートを続けるのも意外と甘くなかった。
というのもニートになって初めて実社会の弊害に直面したのが、東京でアパートを借りるときである。
定職に就いていないことが社会的な信用ゲージを大幅に下げてしまい、たかが賃貸を借りるだけでも一苦労である。
初っ端から出鼻を挫かれた。
フリータとニートでは差は歴然
そもそもフリーターとニートとでは雲泥の差がある。
アルバイトやパートでも何かしらの仕事をしているフリーターと何もしてないニートでは社会的な信用が桁違いであり、そもそもニートに社会的な信用は皆無に等しいから、何かしら組織に属することで自分がどういう人間なのかを証明する必要があるということを学んだ。
何者か分からない人に家を貸せるはずがない。
今までは学校や会社に所属していることが当たり前過ぎて社会的なレッテルを貼られていることに気づかなかったが、剥がされたことで自分を証明するものがないことを認識した。
失ったことでその存在のありがたみに気づくみたいな経験はよくあると思うが、今回の経験でランドセルを手放したときと似た心理状態に陥った。
生活に張りがなくなる
基本的にニート生活はメリハリがないので、常に電源オフ状態でありオンになる瞬間がほぼないので、ついダラダラしてしまう。
ニートで時間があり余ってると時間を大切に使わなくなる。
つまり時間を無駄に使いがちになる。時間に追われ過ぎるのも良くないが、程良く時間に追われたほうが効率良く時間を使える気がしているし、何よりその時間にかける質が高い。
個人的には何も予定のない一日より午後に予定があったほうが午前中作業が捗るし、集中力が段違いである。
というのも終わりが明確であるスキマ時間のが時間配分を考えやすく、作業が捗りやすい。
漠然と時間があり過ぎるのも考えものである。
期限付きの目標を決める
時間を大切に使うには、ある程度の制約があった方がいい。
特に終わりの時間を決めることで作業の質は格段に上がる。
つまり人間ゴールがないと頑張れない。
締切などの期限付きの目標がないと堕落してしまうことをニートを通じて実感した。
自らを見つめ直す時間に
ここまでニートに対する不満や愚痴を綴ってきたが、悪いことばかりではない。
現実に突き付けられたことでニートへの風当たりの強さは痛感していたのだが、そんな中で嫌でも自分と向き合う時間が確保できたのは今後の人生においてプラスになると思っている。
働いていないので物理的に考える時間が増えるのは当然だが、徐々に減りゆく貯金残高とともに考えが洗練されてくる。
そして実際に東京住むことで具体性も高まって、より複雑に自問自答をするようになる。
これが思いのほか自身の思考の整理に繋がり、今やるべきことや今後の展望などが明確になった。
ニートとして過ごした副産物
このブログを立ち上げようと思ったのもニートとして自分と向き合った結果の産物である。
元々、物思いに耽ることは昔からあるほうだと自負していたんだが、ニート期間中は拍車が掛かったおかげで自分の本心を知ることができた思っている。
これも考える時間と身銭に対する不安が良い相乗効果(?)を生んでくれたからだと考察している。
期間限定のニートは人生を彩る
自分の性格を踏まえるとニートという経験は自分の内面を見つめ直す半強制的な人生の作戦会議のように感じている。
前に進むことは当然ながら大事だが、一度立ち止まって後ろを振り返ることも場合によっては必要であることを半年のニート生活で学ばせていただいた。
案外、自分の性格って自分が一番、分かっていないことのが多い。
自分が信じてきた確固たる本心や揺らぐことのない心の底からの欲求も掘り下げていくと、意外とお門違いだったなんてことはざらにある。ニートという時間を有効活用して再確認してみるのも一興。でも半年は少し長かった。
目的のあるニートなら良し
そんなわけでニートは使い方次第である。ニートは時間が腐るほどあるので物理的に自問自答する頻度が増えるが、逃げず出さずにとことん自分と向き合ってほしい。
自分と向き合うことで己を知ることができるので、自ずと人生の質を高めてくれるのではないかと睨んでいる。
ニートとして生活するのは社会的には厳しいが、個人的にニートは目的や期間を決めれば人生を彩る可能性を秘めているので、一度経験してみる価値は大いにあると思う。