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【信頼ポイントゼロ】
遅刻を悪者にしすぎじゃない?って話。

遅刻をするのは悪いことという認識はあるが、世間が思うほど悪いことではないという気もしている。

遅刻をすることで信頼ポイントが一気に下がるし、遅刻した奴というレッテルが半永久的に貼られる。

おまけにクズ扱いされるという始末であるが、そこまで軽蔑しなくてもいいじゃない?というのが俺の本音である。

遅刻自体は悪いことだが。個人的にポイ捨てのが蔑まれるべき。

この感覚は俺がズレているだけなのだろうか?

というわけで今回は俺の遅刻に対するモヤモヤを整理しておきたい。

人の時間を奪いたくないという偽善

そもそも遅刻を断固として許さない人の言い分として人の時間を奪うという主張があるが、個人的にめっちゃ胡散臭く聞こえる。

というのも自分が遅刻をしない理由として時間を奪いたくないという言葉を使ってる場合、その言葉に隠れている性根は待たされたくないとか舐められたくないなどの自分本位の問題が大半である。

遅刻をしたくない理由をあたかも人の時間を奪いたくないという聞こえの良い言葉に変換しているのではないかと俺は睨んでいる。

シンプルに待たされたくないとか舐められたくないのであれば正直にそうやって言えばいいのに、人の時間を奪いたくないということで、なんかいい人ぶっている感じがしてならない。

遅刻を上手く利用する

先ほど遅刻をしたくない理由の性根は人の時間を奪いたくないんじゃなくて、自分が待たされたくないとか舐められたくないという不快な気持ちのほうが強いのではないかと考察したが、そもそもなぜ不快になってしまうのか?

これは思考の論点をちょっと変えれば済む話であり、そもそも待たされたらその時間を有効に使えばいいし、舐められたならその人は気を許してくれているかもしれないと捉えることができる。

もし仮に俺が待たされなら存分に溜まってる迷惑をメール削除する時間に使うし、舐められたなら相手の懐に入り込んで相手の性癖を聞くチャンスを伺う(変態)

遅刻する人の心理描写

個人的に遅刻で不快になる人は物事を柔軟に考えれていない、もしくは物事の本質が見えてない人が多い印象。

極論、遅刻なんて相手に少しばかりの隙と隙間時間を与えるだけなので、遅刻を必要以上の悪に仕立て上げてあげなくてもいいのではないかと思う。

遅刻をされて怒る人は遅刻=犯罪みたいな勢いで遅刻を認識しているんじゃないか(言い過ぎ)

遅刻してしまう自分が嫌い

ここまで散々、遅刻に対して寛容なスタンスできているが俺自身、遅刻はしたくないし遅刻をしていいとも思ってない。

それこそ人の時間を奪いたくないとかではないが、俺は自分の倫理価値観感的に遅刻はしたくない。

そもそも自分自身が遅刻をしたくないし、遅刻をしてしまう自分が嫌である。

まあそう思っていても結果、遅刻してしまうことはあるのだが、

遅刻は自身の時間に対する詰めの甘さであり、計画性の無さを露呈しているに過ぎない。

時間すら大事に使えない自分が許せないのである。

時間に対する価値観を押し付けない

基本的に遅刻をしてしまう人って、自分の時間に価値がないと思っているか、自分の時間を高く見積もっているのが大半だと思うが、昔の俺は圧倒的に前者だった。

自分の時間に価値がないというか時間そのものにあまり価値を見出していなかったので、相手にも自分にも時間にルーズだったが、30歳にして時間の価値観が物凄い勢いで上がっている。

俺にとって30歳という年齢は良い意味で人生のケツを叩いてくれている。

20代の頃みたいな時間の使い方をしてしまうと、あっという間に40歳を迎えてしまうのではないかという恐怖心が大きい。

30代という時間をどう使うかで、俺の人生の大方は決まるの言っては過言ではない。

そういった意味では時間はお金より大事なのかもしれない。

時は金なりとはよく言ったものだ(身を持って実感)

判断基準は迷惑をかけること

少し整理すると遅刻に対して過度に厳しくなったり、優しくなったりする必要はない。

遅刻自体は悪いことだが迷惑をかけていなけれなければ基本的にオッケーだと思う。

迷惑のかかっていない遅刻はただの心と時間の隙である。

迷惑がかかったならその分、頑張って取り返せばいいだけの話。

時間と目的が直結している場合

一般的に予約などの時間と目的が直結してるケースは遅刻によって周囲に迷惑がかかりやすいので、気を付ける必要があるが、遅刻したとしても目的を果たせさえすればいいのかと言われるとそうでもない。

かといって誠意や愛嬌だけで状況を打破できるほど世間は甘くはないが、そもそも誠意や愛嬌がない人の遅刻はなんとなく許したくない

結局のところ遅刻をしたくないと思う人の遅刻は許してしまうぐらいの心の余裕と頭の柔軟さがあるぐらいが丁度いいのかもしれない(これはガチ)

自分に厳しく相手に優しく

というわけで今回は自分の遅刻に対するモヤモヤを書いてみたが、遅刻に対する捉え方でその人の度量というか人としての器が垣間見れる気がしている。

俺自身、相手の遅刻にはそこそこ寛容で自分の遅刻にはわりと厳しめだが、ただただ他人に過度な期待しないだけなのと自分のことを嫌いになりたくないだけだと考察している。

これだけ聞くと相手に優しく自分に厳しい人間の鏡のように見えるが、実際はそうでもない(理想が高いだけ)

まあ時間は皆に平等だし有限だから、大事にかつ有効に使おうぜ!←これに尽きる。

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