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【全くの無一文】
借金まみれの高校の同級生とコンビ結成と上京の物語。

俺は今現在、高校の同級生とお笑いコンビを組んでいるのだが、コンビを組むということは良くも悪くも相方の素性を知ることと同義だと思っていて、コンビの本気度合いに比例して、お互いが腹を割って話すことも増えてくる。

当然、俺たちコンビも例外ではない。

そもそも俺も相方も本気でなければ30歳で上京して、相方と同じ屋根の下で共に暮らすなんていう選択肢を選ばないだろうし、ともかく俺は相方がその選択肢を選んでくれたことに感激したのを今でも覚えている。

だがしかしその感激もひと塩であり、相方の知られざる真実(借金)によって出鼻を挫かれてしまったことは未だ記憶に新しい。

俺が思っていた以上に、コンビを組もうと言い出してから東京でルームシェアするまでの道のりは険しかった。

というわけで今回は高校の同級生とコンビ結成秘話と上京までの物語を綴りたい。

※そしてここでは相方のことをNと呼んで話を進めていく。

高校時代のほとんどの時間を過ごした

そもそもNとは高校時代、最も仲が良かったと言っても過言ではなく、部活もクラスも一緒で、ほとんどの時間を共に過ごしていたのだが、高校を卒業してからは別々の道を進むことになり、会うことも少なくなってしまった。

とはいえ俺もNも同じ愛知に住んでいたので、会おうとすればいつでも会えるのだが、お互いに自分から連絡を取り合う性格ではなかったことと、新しい環境で奮闘していたことも相まって段々と疎遠になってしまった。

お笑いのコンビを組むなら誰にするかの答え

そして会うことがめっきりとなくなり、高校を卒業してから10年ぐらい経った頃から俺のお笑いに対する熱量が上がってき、その頃から暇さえあれば自分でネタを書くようになっていた。

ネタはピンネタを作っていたのだが、本音はコンビのネタを作りたいと思っていたし、ピンネタを考えながらも「コンビを組むならNかな?」とか無意識に考えていた。

そんな矢先にNから突然、電話が掛かってきた。普段から電話なんて滅多にしないのに、絶妙なタイミングで掛かってきたもんだから俺は内心「君(N)に決めた!」と思っていた。

お笑いへの世界に足を踏み入れる

そこから俺のお笑いへの熱き思いをNにぶつけ、お試しがてらキングオブコントやM-1の予選会に出てみたりして、俺たちのお笑いが通用するのかを確かめていた。

そして初舞台のキングオブコントのネタ見せでは「一回戦通過したんじゃね?」と錯覚するぐらい結構ウケたので「これはもしかして?」なんて密かにコンビの可能性を感じていた。

この経験を皮切りに俺のお笑いへのボルテージは高ぶるばかりであり、以前よりどっぷりお笑いに浸かってしまうことになるのだが、これは単なるビギナーズラックに過ぎなかった。

初心者ほどパチンコに当たりやすいのと何ら変わらない。

相方の知られざる真実

そんなわけで俺はすっかりお笑いの世界へ誘われてしまったので、俺は本気でお笑いをやりたい旨をNに伝えた。

そして俺は「一緒に上京しない?」と口にした。それに対するNの第一声は意外にもノーだった。

口説き落とすのに失敗した俺はなるべく後腐れないように振る舞ったが、内心「なぜノー?」という疑問が脳内を駆け回っていた。

というのも俺の中では順調に来ていると勝手に思い込んでいたので、ぶっちゃけイエスと言うと鷹を括っていた。

平然を装いながらノーの理由を聞いてみると、Nには多額の借金があることが発覚した。

このとき俺はバツイチ子持ち(借金)とお付き合いするみたいな気持ちになったのは今でも忘れない。

コンビを組むなんて所詮、口約束に過ぎないと思っていたのだが、俺は第二の青春感を漂わせながらコンビを組もうと言った手前、借金というワードで一気に現実に引き戻された感じがした。

コンビ結成の契約金を支払う

Nの借金について深堀りしていくと総額で300万弱の借金があることが発覚した。

それを聞いた瞬間、俺はどこか他人事ではない気持ちに駆られていて、コンビ結成早々壁にぶち当たってしまった。

Nはコンビを組む以前に自分に借金があることを知ってほしいかったらしく、借金があっても良ければコンビを組んでも構わないという感じだった。

勿論、俺は借金なんて別に構わないと二つ返事で返したら、Nは俺にお金を貸して欲しいと頼み込んできた。

まずは20万円。近々の支払いがあるとのことだったので、俺は渋々ながら20万を貸し付けた。

お笑いという形式的に俺がNを巻き込んだ感じになってしまっているので、ここで断るとコンビを組めなくなるかもしれないという思いと、別に借金があっても物怖じしないスタンスを貫くために、俺はコンビ結成の契約金(?)として20万円支払った。

お金の管理が特殊だった

当初は「20万すら自分で払えないのか?」と疑問に思ったのだが、話を進めていくとNの通帳は親に管理されていることが発覚した。

つまりN自身で銀行口座を管理することを許されていない。

というのもNは以前に借金で首が回らなくなったことがあり、そのときは親にかなりの迷惑をかけたらしく、それ以降Nの銀行口座は親が管理するようになったらしい。

なのでNは30歳にして毎回、お金を使うときは必ず親を介さなければならないという縛りが科されている。

借金の延命処置をすることに

そしてこれ以上、親に迷惑をかけられないというNのプライドと恐怖心により、借金があることは死んでも隠し通すつもりのようだった。借金があるのがバレたあかつきには、もうお笑いどころの騒ぎではなくなるかもしれないという八方塞がりな状況だったのだが、俺は俺でNの借金をいっぺんに完済するほどの貯蓄が無かったので、近々の支払いがあるたびに延命処置の如く、Nにお金を振り込んだ。

一時的な借金返済でその場凌ぎ

俺がお笑いに誘って、借金を一時的に肩代わりしなければ、遅かれ早かれ借金が親にバレていたか、借金を返すためにまた新たな借金を作っていたに違いないと思っているので、俺がNの救世主(?)となった言っても過言ではない。

とはいえNが会社を退職したら300万ほどの大金が手元に入るとこのことなので、Nが会社を辞めるまでに俺が近々の借金をその場凌ぎで返済し、あとは退職金で一気に返済してもらうという流れになった。

自分の親にお笑いをやりたいことを伝える

そんな付け焼き刃な状況が数ヶ月続き、俺は親に東京でお笑いをやりたいという旨を伝えた。

案の定、親から反対を喰らったが俺の気持ちは変わらない。

反対する親を孕めに俺は自分のやりたいことを貫くことを決心した。

昭和生まれの辛抱こそが美徳の親と平成生まれの奔放こそが美徳の子では、意見が対立しないはずがない。

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相方も親にお笑いをやりたいことを伝える

俺が親に伝えたので次はNの番である。Nは以前に自身の借金で首が回らなくなり、親に迷惑をかけたという前科があるので、なかなか東京でお笑いをやりたいなんて言えるはずもなかった。

それもそのはずでお金の管理すら自分で出来ないのに、お笑いなんて出来るはずもないと言われたらグゥの根も出ないからである。

現時点で色んな消費者金融からの借金があるのはバレてはいないが、Nは自分の給料を親が管理している状態でも毎月のスマホ代に合算して、ちゃっかりネットギャンブルをしており、親からガンガンに怪しまれている。

そんな状態でNは勇気を振り絞ってくれて、親に俺と東京でお笑いをやりたいことを告白してくれたのだが、やはり一筋縄ではいかなかった。

相方が東京でお笑いをやる条件

親からの信頼ゼロでお笑いは火に油だったらしく、親からすると借金という前科持ちでありながら毎月のスマホ代に合算してネットギャンブルをしているNを釈放するわけにはいかないという結論に至った。

そしてNが実家という名の牢屋から脱出するためには最低でも半年間、金銭的模範囚として過ごさなければならないという条件を提示された。

いつ落ちるか分からない綱渡り

半年間、お金の管理を自分で出来ることが証明できれば、退職金の入った通帳を手に入れた状態で実家を出られる。

金銭的模範囚の条件を飲んだのがその年の1月だったので早くても来年の6月末までNは上京出来なくなった。

その時点で春からコンビでお笑いの養成所に行くという野望は途絶えてしまった。

親に通帳を握られている状態で半年間、金銭的模範囚を振る舞うことは足の幅ほどしかない橋を渡ることに等しく、いつ落ちてもおかしくない条件だった。

借金が親にバレたくないというNの気持ちに拍車がかかっていた。

付け焼き刃の借金肩代わり生活

俺も俺でNが会社を辞めて、Nの退職金が入るまでの間にどれぐらいの額が吹っ飛ぶか分からないので、俺はNの近々の借金の返済に備えて、毎月の給料をなるべく貯蓄に回した。

この時点で俺は4月末で仕事を辞めることが決定していて、Nは6月末まで実家から出られない。

Nとは2ヶ月の上京ラグが生じてしまっていた。

なので俺はNが退職する6月末までの間に近々のNの借金をその場凌ぎで返済さえすれば、ミッション成功である。

あとはNが実家で親に借金がバレないように振る舞うだけという状況だった。

借金の存在がバレたことによる制裁

Nは順調に金銭的模範囚として過ごしていたのだが、5月に入った頃ぐらいに親に借金がバレてしまった。

その時点で俺がNに支払った額は100万を裕に超えていた。

親にバレずに俺が近々の借金を一時的に返済するミッションは失敗に終わった。

残り1ヶ月弱の辛抱だったのに悔しい。あとちょっとだった。

Nが借金していたことはバレたが、俺が肩代わりしていたことはバレていない。

そしてNの親は金銭的模範囚の期間を6月末から12月末に延ばした。

そんなわけでNの釈放はさらに半年伸びて12月末に延期となった。

なぜ模範期間が半年区切りなのかはNの親の判断なので、知る由もなかったが少し気になる。

その間、俺は俺で東京でNとルームシェアをするために借りたアパートに一人暮らし。

一瞬、何のために仕事を辞めたのか分からなかった。

4月末で仕事を辞めて5月から11月まで東京という未開拓の地で半年間のニート生活をすることになる。

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新たな借金を生み出してしまう

そして俺は12月末にはNが上京してくるというのを一応、念頭に置いて生活してたのだが、早々に予定が崩れることになった。

10月の中旬ごろ、Nから一本の電話がかかってきたので出てみると、電話越しでNが号泣していた。

俺もさっぱり状況が掴めなかったが、話を聞き進めていくと、どうやら新たに借金を作ってしまったらしい。

金銭的模範囚として心を入れ替える前の借金については既にバレてしまってるのでNの親も目を瞑っていたらしいが、さすがに今回の新規の借金を作ってしまったのは過去の借金がバレるより罪は重かったようだ。

ギャンブル依存が治るまで行かせれない

俺はNが電話口で取り乱していて内容が全く入ってこなかったので、Nの母に電話が代わった。

Nの母曰く、このままでは東京に行かせれないので、ちゃんと治してから行かせるとのことだった。

Nの借金の原因はギャンブルなので、ギャンブル依存が治るまでには東京には行かせれませんという内容だった。

治るまでに何年かかるか分からないので、その間迷惑かけることになるからNとお笑いをやるのを諦めて欲しいと言われた。

だが俺はコンビを組むなら今の相方しかありえないと伝えた。

そして治るまで待ちますとも伝えた。

相方も俺と東京でお笑いをやりたいし、俺も相方と東京でお笑いをやりたいというお互いの言い分は変わらなかった。

俺の中で言いたいことをお互いに言い合えるような腹を割った話をできる関係性というのは貴重である。

この双方の関係性が崩れることがない限り、俺は待つし相方はギャンブル依存を治すという体制でいいという結論に至った。

そして電話を切った後も電話口の相方の泣きじゃくっていた姿がフラッシュバックしていた。

時間とお金がかかってようやく

そして時は流れ翌年の3月。ようやく相方が来ることになった。

その間、ちょいちょい電話でお互いの近況は報告し合っていたので、俺が養成所に通いたいという心の内を伝わっている。

色々と考えたがフリーで芸人をやるのも悪くないが、地下芸人というか野良芸人の雰囲気がなんとなく自分に合っていない気がした。

要するに俺は野生で育つ自信がなかったので、養成所というビニールハウスで育つほうを選んだだけである。

30歳だし効率良くお笑いのノウハウを学ぶためには養成所が最適だと考えた。

地下ライブでお客さんの反応から学ぶより、作家さんからのアドバイスからお笑いを学ぶほうが合理的だと判断した。

そして事務所に所属すればマネジメント業務の請負や業界とのコネクションなどメリットは多い。

しかも養成所の年齢制限が30歳までだったので、今年がラストチャンスである。

当然、相方も養成所に一緒に通うことになるのだが、相方はほぼ一文無しで上京してきたので、養成所の授業料60万なんて払えるはずがない。

というわけで半分の30万を貸すことに。

この時点で相方に貸したお金の総額が150万に達した。

もう金銭感覚がバグっている。

高校の同級生と本気にお笑いをやるために1年もの歳月と150万の資金が必要になるなんて思いもしなかった。

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