俺の経験上、お金がないほど夢を追うことは厳しくなるのは当然っちゃ当然なのだが、最近はそうでもない気がしている。
というのも個人的には夢を追うのに、お金は必要最低限度でいいと思っているし、そもそも夢を追っている人って、お金を持っているイメージがない。
お金がないから夢を追うのかもしれないが、俺はお金が欲しい以外の夢を追う原動力があると睨んでいる。
お金がなくても夢を追い続けられる人のメンタル状態は一体、どうなっているのか?
というわけで今回はお金がなくても夢を追い続けられる人の原動力について考えてみた。
お金の余裕は心の余裕
そもそも大前提、日々の生活を送ることすらままならないぐらいお金がなければ夢を追う余裕なんてなくなる。
俺の経験上、お金がなくなると夢を追う余裕もなくなるというのが至極、真っ当な人間の出す結論だと思っていたが、世の中には全くの無一文で夢を追うことが困難になったとしても、ギリギリの生活をしながら夢を追い続ける人だって一定数、存在していることにハッとさせられた。
というのも恥ずかしい話、俺は貯金が100万を下回りそうになっただけで芸人になる夢を一瞬、諦めそうになったことがある。
このことからお金の余裕は心の余裕という教訓を体現できた。
要するにある程度の心の余裕がないと夢なんて追ってる場合じゃなくなることが分かった。
個人差はあれど夢に対して全力投球するための足場を固めるという意味合いでもお金は必要不可欠である。
お金は夢を追うための準備に過ぎない
個人的にある程度の金銭的な余裕が精神的な余裕に繋がり、その余裕が夢を追いかける集中力に変わると思っていたのだが、ぶっちゃけお金という名の精神安定剤があるだけでは夢を追う準備が整ったに過ぎない気がしている。
詰まるところ夢を追うという名の冒険に出かけるための必要最低限の武器は揃っただけだし、何より揃えた武器を使わなければ意味がない。
お金があるというだけでは武器を常備しながら安全な街の中をほっつき歩いてることに等しい。
お金より度胸のが大事
お金という名の夢を追うための武器が用意できたら、あとはその武器を持って街の外に出るだけなのだが、これがなかなか億劫である。
お金は貯めるより使うことのほうが難しいとはよく言ったもんで、俺も散々武器をぶら下げながら街の中をほっつき歩いていたのだが、今振り返っても街の外に出るのは怖かったんだと思う。
武器を持っていても街の外へ出るためにはそれ相応の度胸がいる。
そしてそれに付随して自分自身を突き動かす何かしらの野心も必要になってくるのだが、個人的にはこれがかなり重要だと思っている。
夢を追う理由を明確に
夢を追うという壮絶な大冒険の第一歩を踏むためにはお金という名の武器も必要ではあるが、それ以上に夢に対するメンタルやマインドのが100倍大事というのが俺の本音。
「なぜ俺は夢を追う必要があるのか?」
ここを徹底的に煮詰めることで夢に対する心持ちレベルが分かる。
個人的には夢を追うことに至った経緯や目的はお金なんて軽々、凌駕すると思っている。
内容にもよるかもしれないが、夢を追う理由こそが夢を追う自分を支えてくれる。
何事も理由が肝心
夢に限らず何事も理由なくして何かを始めることは小学生でもしないと思うし、きっと「友達がやってるから」とか「自分にもできそうだから」などの何かしらの理由を考えているはずであり、理由もなく何かを始めるのは簡単そうで意外と難しい。
何事も理由もなくは始まらない。
火のないところには煙は立たないとはこのこと。
理由を火に例えて考えてみる
夢に限らず何にするにしても理由は必要だが、給料で選ぶ転職は失敗しやすいみたいに理由がしょうもなければすぐ鎮火してしまうのは共通している。
理由を火に例えると分かりやすい。
ここで重要なのは火の色である。
これは俺の持論だが、赤い炎は正の感情で青い炎は負の感情というニュアンス。
根に持ちやすい人はいつか花開く
これは俺の偏見だが、学生時代にチヤホヤされていない人ほど社会人になってからも目標を持って頑張っている気がしていて、現状に満足せず自己研鑽してる人が多い印象である。
何が言いたいのかというと「見返したい」とか「馬鹿にされた」などの負の感情ほど頑固な油汚れみたく心にこびりついたままであり、根に持ちやすい人ほど何か成し遂げるのではないかと俺は睨んでいる。
負の感情は積極的に貯蓄しておく
負の感情こそ青い炎に相応しく、高温で静かなる闘志が似合う言葉も他に見当たらない。
そもそも負の感情ほど自分を長く奮い立たせてくれるものはないし、夢を追う原動力に最適なものはないと思っているので、負の感情を夢を追う原動力にしたほうが、しぶとく自分を支えてくれる気がしている。
まだ何も成し遂げていない俺が言うのも説得力に欠けるが、負の感情があるとないとではしぶとさは段違いで、負の感情を利用できる者こそが夢を叶える可能性を秘めている気がしている。
負の感情が夢を追う自分を支える屈強な後ろ楯になると信じて、ここぞとばかりに負の感情を積極的に貯蓄している。
正の感情の爆発力を侮ってはいけない
ここまでの流れから察するに正の感情は必要ないと思われがちだが、個人的に「楽しい」とか「好き」などの正の感情ほど瞬間的にやる気にさせてくれるものはないと思っている。
正の感情は言い換えれば情熱なので、スタートダッシュを決め込むにはもってこいであり、キッカケ作りに赤い炎は抜群の瞬発力を誇る。
正の感情はフットワークを軽くする
正の感情は最も馬力がいる初動のトルクを軽くしてくれるので、何かを始めるにあたってこんなにも頼もしいものもない。
正の感情ほど着火しやすいものはないし、何より自分を後押しをしてくれるので、利用しない手立てはない。
正の感情の最初の取っ掛かり力にはかなりの定評がある(持論)
アニメに影響されるのも悪くない
個人的には自分に何かしらのプラスの可能性を感じたり、僅かながらの成功への勝ち筋が見えたりすることで正の感情ブーストをかますことできると思っている。
そんな俺の正の感情ブーストは心に刺さるアニメを見ることである。
落ち込んでいるときほどアニメキャラの言動に心を動かされるという経験をしている人も少ないと思うが、これが意外にも馬鹿にできない。
不安になったり自信をなくしてしまうのを挽回するためにアニメキャラにインスパイアされることほど手軽で効果的なものも少なくない。
自分を勢いづけるにはもってこいの手段。
夢を追う瞬発力と持久力のバランス
ここで一度まとめておくと、夢を追うための瞬発力は正の感情であり、そこからの持久力は負の感情がエネルギーの源である。
個人的に夢を追うにあたって正の感情だけではガス欠を起こす。
ただの夢を追うことに満足してしまう人間と化す。
夢を追う自分に酔ってしまっては本末転倒なので、負の感情を上手く利用して、反骨心として昇華することで走り続ける原動力する必要がある。
お金がなくても反骨心がある限りは夢は追える
というわけで今回はお金がなくても夢を追い続けられる人の原動力について考えてみたが、結局のところ人間は感情の生き物であることを再確認させられた。
お金なんて一種の安心剤にしかならないし、お金がなくても反骨心を絶やさなければ夢を追い続けられると俺は睨んでいる。
負の感情はお金をも凌駕すると思うし、そんな俺は夢を追うにあたっての負の感情がまだまだ足りてない(焦り)