俺自身、両親や先生から人に迷惑をかけるなと散々、言われてきた人間であり、迷惑なんてかけた日にはクソミソに怒られてきたので、なるべく周囲に迷惑をかけないように現在に至るまで生きてきたが、最近そこまで迷惑を基準にギチギチに生きなくてもいいのではないかと思っている。
なぜそこまで人に迷惑をかけるにことに対して過剰な罪意識を抱いているのか?
自分が迷惑と思っていることも相手からしたら全然迷惑ではないことなんてザラにあるのに…
というわけで今回は人に迷惑をかけるという行為の重罪さについて紐解いていく。
迷惑をかけなくないという名の絶対防御
これは偏見かもしれないが、過剰に迷惑をかけたくないと思っている人ほど定期預金でコツコツ貯蓄しているイメージがある。
常にバリアを張っているというか守ることに全振りな丸まってるダンゴムシ状態。
過剰に迷惑をかけたくないと思う人ほど借りを返せる自信がないので、借金を背負ってまで一発当てようなんてさらさら思わない人が多い印象。
防御することも重要だが、時にはリスクを冒して行動することも大切。
損して得を取るという思考も頭の片隅に置いておくべき。
人に迷惑をかけないことの代償
極論、人に迷惑をかけてはいけないと思えば思うほど、八方塞がりになり前どころか後ろにすら進めなくなる。
大前提、迷惑はかけてはいけないが、その心持ちでは何も達成できない。
思い切った行動に移すためには多かれ少なかれ迷惑をかけてしまうのだが、それはそれでいいと思う。
なぜなら迷惑をかけた分、何かしらで恩返しをすればいいだけの話だから、そこまで迷惑をかけること自体に臆病ならなくてもいい気がしている。
つまり迷惑というマイナスを感謝というプラスで巻き返せばいい。
迷惑にはありったけの感謝で挽回
当たり前だが、過剰に迷惑をかけてはいけないと思ってる人ほど、人に迷惑をかけることに対して異常なアレルギー反応を示す。
これは言い換えると迷惑をかけた後の挽回の仕方が分からない、もしくはその発想がない。
個人的に心が最も満たされるのは人から感謝されるときなので、大半の迷惑は感謝で相殺される。
迷惑の度合いにもよるが、その分ありったけの恩で返せばトントン。
借りを返せさえすればそれでオッケーだと俺は思っている。
絶対に迷惑をかけたくないマンの特徴
そんなわけで迷惑をかけても、感謝で巻き返せばいいのだが、この発想が欠落してる人ほど自分が人の役に立てられる自信がないので、人に迷惑をかけたくないという言葉に逃げてしまうと睨んでいる。
生じてしまった迷惑に見合った恩の返し方が分からないもしくは恩を返すことができないので、迷惑に対する罪意識が高い。
恩を返さなければならないという責任を背負いたくないので、絶対に迷惑をかけたくないマンになってしまうのではないかと考察している
自分で撒いてしまった迷惑を自分で処理する能力が低いが故の結果かと思う。
積極的に迷惑をかけ合っていくスタンス
散々、30歳の独身男性が偉そうに語っているが、俺自身まだ迷惑という借金を全然返せてない。
人生を達観してるつもりはないが、人間は生きているだけで迷惑をかけている。
というのも人間は迷惑をかけないで生きるのは不可能なので、積極的に迷惑をかけ合って生きるしかない。
いかに心地良くを迷惑かけられるかが人生の命運を分けるというか、いざというときに気軽に助けを求め合える人付き合いをしておくと楽。
冗談混じりで「しょうがねぇなぁ~」と言い合える関係性がなんだかんだで一番、ベストだと思う。
迷惑の受け止め方が変わる
そもそも俺がなぜ迷惑をギブアンドテイクで考えるようになったのかというと理学療法士として過ごした経験がかなり大きい。
というのも理学療法士は医療職の中でも随一で肉体的にも心理的にも患者さんとの距離が圧倒的に近いので、喜びという感情をダイレクトにぶつけられる(逆もまた然りだが…)
そんなわけで人から感謝されることが日常茶飯事であり、人が喜ぶツボをなんとなく熟知しているので、どうすれば喜んでもらえるのか、あるいはどうすれば満足していただけるかが自ずと分かってしまう。
その人にとってプラスになることを行えるのは、すなわちその人がたとえマイナスになっても挽回できることと同義だと思う。
感覚的に言うと、人が食べてる最中に強引に「一口、ちょうだい!」と言って貰った後に、とびっきりのデザートを奢ってあげるような感じである。
迷惑をかけてもいい雰囲気を作る
そんなわけで俺に限っては理学療法士という直接的に人の役に立っている経験が良くも悪くも人に何かしらをギブするハードルを低くくしてしまった要因だと思う。
人にギブするハードルが低くなることで、相手が気持ち良くなることに抵抗がなくなり、相手のハートを掴むことが容易になる。
それと同時に相手からの信用ゲージが満タンになっていくのが感覚的に分かるようになり、最終的には可愛がられ力がピークを迎え、良好な信頼関係が築ける。
そして多少のミスも目をつむってもらえるし、無理な要望にも耳を傾けてくれる(打算的)
つまり迷惑かけた分を差し引いても、まだ相手には余裕が十分あるので冗談混じりの「しょうがねぇなぁ~」が発動するので、迷惑をかけられることが心地良くなるような人柄と信頼があれば最強。
申し訳ないと思う迷惑に感謝は付き物
というわけで今回は人に迷惑をかけるという罪の重さについて解説してみたが、そもそも人は人に迷惑をかけながら生きないと自分自身がパンクする。なので基本的には迷惑をかけながらも誰かに感謝されるような生き方でいいとは思うが、図々しく生きろという意味ではない。
迷惑にはかけてもいい迷惑と、かけてはいない迷惑が存在する。
感覚的にはゴミのポイ捨てなどの自分の怠惰による迷惑はかけてはいけない迷惑である。
かけてはいけない迷惑の基準は不可抗力か否だと思う。
極論、申し訳ないと思いながらかける迷惑は許せるのが人間の性なので、自然と迷惑に見合った感謝を与えられれば理想的。
ちなみに俺が今までかけてきた迷惑料という名の借金はおそらく1000万は優に超えている(自慢)