好きなことを仕事にできたら、どれほど人生が豊かになるだろうか。
俺自身、好きなことを仕事にしたいと思っている派の人間なのだが、好きなことを仕事にする際には注意点がある。
それは好きなことを仕事にしたいなら一度立ち止まって、なぜ好きなのかを追求すべきである。
つまり好きという感情と向き合わなければならない。「なぜ自分は〇〇が好きなのか?」これを追求することで、本当の自分に出会える(素敵)
というわけで今回は好きなことを仕事をする前に、好きという感情と向き合う工程を挟むべき理由をお伝えしたい。
好きという感情の正体
そもそも好きという感情は何重ものベールに包まれていて正体が見えないので、好きの核心に行き着くまでには一枚一枚ベールを剥がしていく必要がある。
というのも俺自身、20代前半から中盤にかけてスノーボードにハマっていたのだが、ある時ふと気づいてしまった。
俺はスノーボードが好きなんじゃなくて、スノーボードを趣味にしている自分が好きだということに。
純粋にスノーボードを好きと言い切れない自分になんとなくモヤモヤしていたのだが、俺はスノーボードを趣味にしている自分が好きという核心に気づくまでに3~4年かかった。
ただただ俺は自分に酔うことが好きなだけという結論に至った。
今思うと自分をブランディングするのが好きだったのかもしれない。
好きという感情を知る
本当に好きであるかどうかを知ることは極めて重要であり、好きな理由が明確になることで自分がどういう人間かが自ずと分かってくる。
自分を知ることで大方の人生の指標が決まると言っても過言ではないので、人生において自分が進むべき道が分かるのは、かなりのアドバンテージである。
つまり好きなことの核心は自分の得意分野である可能性が高いので、好きという感情を深堀りすることは自分の得意なことを見つけることに等しい。
好きなことを文章にしてみる
好きという感情と向き合って、なぜ好きなのかを追求することで自分の得意分野が見えてくるのは確かだが、そもそも追求することが難しい。
なぜなら好きなことをこれ以上、分解できないところまで分解する必要があるからだ。
分解しないと野球が好きというだけで小中学校の卒業文集でプロ野球選手になりたいなんていう安直な思考になってしまう。
ちなみに俺も小中学校時代は野球に夢中だったので将来の夢はプロ野球選手なんて夢を描いていた小僧だった。
野球の何が好きなのかを突き詰めないと野球という単語をそのまま鵜呑みにしてしまう。
俺が思う野球の好きな理由を辿っていくと純粋に身体能力を高めるのが楽しかったり、できないことができるようになることだったりする。
つまり分解することは単語から文章にすることかもしれない。
好きなことは単語ではない
好きなことを仕事にする際には単語レベルでの好きから脱して、文章レベルの好きに移行する必要があるが、趣味の範囲であれば単語レベルの好きのままでいいと思う。
単語レベルでの好きなことをそのまま仕事にすると趣味みたいになるが、それはそれでいい。
ストイックに結果を求めていたり、成功したいと思わない限りは趣味みたいに伸び伸びとやればいい。
つまり単語レベルでの好きは趣味に、文章レベルの好きは仕事にすべき。
文章での好きなことは得意なことと同義だから、個人的に趣味にするのは勿体無い。
好きという感情の弊害
好きなことを仕事にするというのは夢があって聞こえもいいが、安直に好きなことを仕事にしてしまうと失敗しやすい。
スノーボードや野球の経験を通じてそう思うようになったのだが、俺の人生で最もこの教訓を身を持って実感したことがある。
それは単純作業である。俺は元々工作が好きであり、お菓子の空き箱を切り刻んでいた少年だったので、その特性を活かしアルバイトで工場のラインで部品の組み立てをやることになったのだが、これが予想以上につまらなかった。
このことから俺は工作が好きなのではなくて、アイデアを何かしらのカタチにすることが好きだということに気づいた。
何回も言うが、好きなことを分解して単語レベルの好きから文章レベルの好きにしなければ気づかなかった。
好きなことの中には得意なことが隠れている可能性がある。
好きの真髄は得意なこと
というわけで今回は好きなことを仕事にする際の注意点というテーマで好きなことを仕事にするというキャッチコピーに一石、投じてみた。
極論、好きを鵜呑みにしてはいけない。
好きという感情と向き合って、徹底的に好きな理由を明確にすることで自分の得意分野が見えてくるはず。
単語レベルで好きというのは要注意。
文章化して本当に好きな理由を見つけることで自分の扱える武器が分かる。
文章レベルでの好きなことは仕事で無双できる可能性を秘めている。