俺自身、どちらかというと舐められやすいタイプであり、ヤンキーとは対極に位置する人間である。
昔っから不思議と相手を威圧するより相手に安心してもらうほうが圧倒的に楽だったせいか、気づけば自然と舐められる方向に向かってしまっている生粋のナメラリストである。
舐められやすいと聞くと問答無用で雑魚というイメージを持たれるかもしれないが、最近はそうでもない気がしている。
というのも今までで一度も舐められることに対してコンプレックスに感じたことはないし、治そうとしたこともない。
なぜなら舐められるほうが人生が順風満帆になりそうだからである。
というわけで今回は舐められやすいことで得られる恩恵を綴ってみた。
気を遣われるのが好きくない
そもそも俺は人から気を遣われることが嫌いな人間であり、この世で接待されることが最も愚かな行動だと思っている。
かといって接待するほうもあまり好きではないが、接待されることで得られるものなんて何もない(断言)
接待されるぐらいなら邪険に扱われるほうが安心する。
そのほうがお互いに余計な気を遣わないで済む。
接待するなら無理をしてる素振りを見せないでいただきたい。
なぜなら無理してるのが垣間見れるともれなく申し訳ない気持ちになってしまうからである。
無理して接待するぐらいなら何もしないほうがマシなぐらい。
超感覚的に言うと痒いところに手が届いてない感じであり、掻くならちゃんと掻いてほしい。もっと痒くなるから。
建前で喋っても意味がない
当たり前だが気を遣うのって結構、疲れる。
でも自分が舐められることで相手が気を遣うのを放棄する。
気を遣って素が見えない状態で喋っても何も得られないし、何も生まれない。
建前で喋る時間ほど無駄な時間はないし、建前で喋るのは人形に喋りかけるのと変わらない(言い過ぎ)
なるべく本音で話したい
そんなわけで極力、相手が無理をしないために自分が舐められることで無意識に相手が無理をしなくていいようにしているのだが、なぜ俺はそこまでしてしまうのか。
それは俺自身がなるべく本音で話したいと思っているからだった。
そもそも舐められることの真髄は相手が俺の本心を曝け出すに値する人間なのか吟味することにある。
とりあえず舐められておくことで相手の本性が顕になってくるので、そこで自分も本性を現すべき相手なのかを探っているという算段な気がしている。
本音を出す人は選びまくる
俺にとって舐められることより、本音を出せないことのが嫌なのかもしれない。
かといって誰もかしこも腹の底を見せるわけではない。
舐められるのは一向に構わないのに、自分の本音はなかなか口にしないという後出しのスタンスを貫いている。
基本的には自分が舐められることで相手の警戒心を解いて、あたかも心を開いているように見えるが、実のところ自分は相手に心を開いていない。
心を開いているような振る舞い
つまりオープンマイハートには振る舞いはするが、所詮はオープンマイハート風である。
心を開いているように見えて、建前と本音をバランス良く使いながらオープンマイハート風に接することで
家のドアは開いてるのに部屋のドアは閉まっているみたいな状態。
ぶっちゃけ建前で話しても詰まらないので出来ることなら本音で話したいけど、人はめっちゃ選ぶから自ら舐められることで自分が本音を出せるチャンスを伺っているという名の餌を撒いて待っている。
建前で探りを入れる
散々、建前で喋ることに意味がないと言ってきたが、目的次第である。
建前自体には意味がないが、建前が目的では先がない。
極論、建前は本音を聞き出す目的で使うのがベターでありベストである。
いきなり本音を聞くのは厚かましいし、何より相手の領域に土足で踏み入れた感が半端ないので、自分が聞きたい情報を得るためには、建前を利用して様子を探るしかない。
建前で相手のスキを窺うのは情報収集の基本戦術。
下手に出ることの美点
個人的に舐められることの一番の旨みは自分の素を出せる相手が見つかるチャンスを窺えることである。
舐められることで相手は素を出してくるから、そこから自分がその相手に素を出すに値するかを決めればいい。
もしそこで自分の素が出せなくても、舐められてることで相手は素が出ている場合がある。
そういう場合は自分の経験上、ラポールが形成されやすいので人間関係のトラブルが少なく、物事が円滑に進みやすい。
自分から下手に出て、相手に信用させておくことはメリットしかない。
敵を作らないほうが圧倒的に平和で楽である。
油断させることで意外性が光る
舐められることは相手より格下だと思われることと同義なので、自分が負けるなんてサラサラ思われていない。
これは言い換えると、期待されていないということになるので相手にカウンターパンチを喰らわす準備が整う。
油断してる分、意外な経歴や余裕そうな表情なんかで相手は容易にグラつく。
舐められていることで、ちょっとした反撃ですら相手に大ダメージを与えることができる。
マイナスからのプラスを狙ったほうが印象に残る。
舐められやすいのを逆手に取る
というわけで今回は舐められやすさの恩恵を言語化してみた。
極論、舐められることは決して悪くはない。
偏見だが舐められることに対して苛立ってしまう人は長期的に物事を考えられない気がしている。
舐められるという一時的な感情の不快感に振り回されてしまうのは人として滑稽である。
個人的に舐められやすいのを治すより舐めらやすいのを逆手に取るほうが、人生が好転するんじゃないかと思っている。