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【20代最後の決断】
両親に本気でお笑いをやりたいと言った率直な反応。

俺は両親に30歳を目前に「お笑いをやりたい」と本気で言った経験がある。

この経験は俺の人生史上なかなかの出来事であり、今でもたまに思い出すぐらいのレベルで深く記憶に刻まれている。

【夢は歳をとらない】
30歳にして本気でお笑いをやろうと思ったキッカケ。

正確に言うと29歳なのだが30歳になる年に上京したことや、この記事を書いている時点で既に30歳になってることもあり、なんとなく区切りがいいということで30歳からお笑いを始めたことにしている(どうでもい ...

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あのときほど実家に帰る足取りが重く感じたことは過去一度もないし、これからもない(多分)

でもいざ改まって話し合ってみると、両親の人生の価値観が垣間見れた気がして新鮮な気持ちになったと同時に、割り切れない気持ちにもなった。

合点がいかないというか、なんとなく腑に落ちない。

というわけで今回は両親に本気でお笑いをやりたいと言った率直な反応とそこから推察される裏側の心境を言語化して、自分自身をスッキリさせたい。

追伸)相方(高校の同級生N)も一緒に上京することになっている。

 

そもそも賛成なんてするはずがない

極論、両親ともに賛成はしていなかった。

そもそも俺は仕事に楽しさを求めるタイプの人間であり、両親は仕事に楽しさを求めないタイプの人間なので、理想派の俺と現実派の両親とでは根本的な考え方が違っていた。

人生の大半を捧げる仕事が楽しくないなんて俺からしたら考えられないのだが、仕事が楽しくなくても家族のために働いてきた経験が今の両親の価値観を形作っているんだと思うと良い意味での愚直さを感じた。

我慢することが美徳とされてきた親からすると俺が宇宙人みたいな存在に見られてもおかしくはないとは思うが、独身で失うものがない俺と結婚して守るべきものがある両親とでは置かれてる境遇が違うので、話が噛み合わないのは当然っちゃ当然である。

別に我慢することは言うほど偉くない

育ってきた環境や時代のせいかもしれないが、俺の両親はおそらく我慢や忍耐に絶大な信頼を置いている。

我慢や忍耐という言葉の響きだけ聞くと拭い切れない武士道感が格好良いと感じてしまいがちだが、俺は小さい頃からこの言葉に言語化できないモヤモヤを抱えていた。

俺の両親は自分で決めた道は最後までやり抜くべきという思考の持ち主だったので、自分から言い出した習い事はそう簡単には辞めさせてくれなかった。

そして今回も理学療法士を辞めて芸人になりたいことを伝えると「自分から理学療法士になりたい」って言ったんでしょ?詰められる始末である。

ただただ耐えるだけでは何も得られない

今思うと嫌でも続けることに意味があるという教育をされてきたのだと振り返っているが、辞めると言い出すことで巻き起こる親からの瞬間的なストレスよりも、嫌でも我慢して続けることで生じる自分への持続的なストレスのほうが楽だと思っていた節がある。

そのせいで忍耐力は鍛えられたが、思考力は乏しかったと思う。

ただただ耐えればいいという発想では考える力が育まれないのは無理もないが、それでも当時の少ない頭で考えて、漠然と我慢すると褒められるという仕組みは理解できたが納得はしていなかったと思う。

我慢することで周りに迷惑をかけないで済むという自己犠牲精神が芽生えつつあったが、それを超えそうになる好奇心や欲望を抑えることは俺には出来なかった。

自分で決めたならいくらでも辞めていい

自分で決めた道だからこそ興味が移り変わったり、途中で違うなと思えば、いくらでも変更しても良いんじゃないかと思うようになった。

自分で決めた道は最後までやり抜くべきという考えは自分と向き合うことを放棄しているし、何より自分軸で人生を生きていない感じがした。

自分が決めた道でも情熱を注げなくなってしまったら迷わず違う道に行ったほうがいい。

我慢して続けたとしても情熱迷子になるだけだし、悶々として終わるのは勿体ない。

自分が情熱を注げるジャンルを模索して、全力を尽くすほうが自分の力を最大限に発揮できるに違いない。

要するに我慢することは情熱迷子を加速させ、全力は情熱迷子を卒業させるので、最後までやり抜く力も必要だが、場合によっては途中で切り捨てる力も必要だということ。

自分が全力を出せる土俵を決める

自分が全力で戦えないフィールドより全力で戦えるフィールドのほうが良いに決まっているし、何より情熱を注げるジャンルを探すことは自分にとって最大の防御だと思うので、自分が大事にしている価値観に則って、情熱を注ぎ口を見つければいいと思う。

所人の価値観なんて時が経つにつれて容易に変化するので、その変化に応じていくらでもフィールドを変えても良い。要は自分に価値観に素直に生きれば良いだけの話。

そもそも自分が置かれてる環境や人との出会いによって、価値観が変化していくのは至極真っ当なことだし、変化していないのは自分が成長していないのを露呈していることに等しいから、未だに足が速い奴が正義だと思っている小学生みたいな大人なんていないはず(多分)

はなから本当の心配はしていない

世間一般的には親が子を心配するというのは当たり前ことであり、何の疑いもなく飄々と過ごしている人が大半だと思うし、俺もそのうちの一人だった。

でもいざこうして自分が芸人という安定の欠片もない仕事をやりたいと言い出してみると案の定両親は心配するのだが、俺はその心配という感情の裏側には何か別の感情が潜んでいるのではないかと勘繰ってしまっていた。

両親の共通している意見は俺が自分の夢を追うことによって身近にいる人に心配をかけることが嫌だというものだった。

俺は一瞬、何を言っているのかさっぱり分からなかったが、おそらく身近にいる人というのは俺の親をはじめ祖父母や親戚、相方、相方の家族、友人、俺の担当患者などの今まで俺という人間に深く関わってくれた人たちのことを指しているのだと思った。

そして俺の両親は周りの心配より自分の意欲をすることが理解できないと主張してきた。

そのときにふと俺は「これは本当に心配しているのか?」と疑問を持つようになった。

これは周囲の人間(親を含む)が心配しているという名の迷惑をかけるなと遠回しに言われている気がして、心配しているふりをして自分を守っている感じがした。

おそらく不安になりたくないだけ

そもそも心配という言葉は一見、優しいパッケージを装っているように見えて中身は自分が不安になりたくないがためのエゴが含まれている気がしている。

自分(親)が嫌な気持ちになりたくないのを俺を取り巻く人たちに心配をかけてしまうという不確定なことに転換している気があったので、俺は何となく違和感を感じていた。

心配を盾に俺の行動を制限してくるような粘着質な感じがしたとのと同時に両親の心の狭さが垣間見れてしまったので、本当に心配しているのか疑問に思ってしまった。

本当に心配してくれてる部分もあるとは思うが、純度100%の本当の心配ではない気がしていたので、親が心配という言葉を口にすればするほど疑心暗鬼になっていた。

心配してると言いながら自分を守っているだけな気がした俺は「そんなに心配してるなら金をくれ!」と心の中で言いそうになったが、俺の中の良心が踏み留めてくれた。

本当に心配しているなら、何か具体的な援助をしてくれるはず。

心配の中に迷惑が混在している

仮に心配をかけるかもしれないが俺の人生だし俺のことを心配する余裕があるなら、その心配を自分に向ければいいと本気で思っているので、自分がやりたいと思ったことは周りの反応をそっちのけで迷わず突き進むべきという精神は今も変わらない。

極論、俺の行動で自分(親)自身が不安になりたくない結果、心配という都合の良い言葉で片付けられてしまっているだけであり、これは言い換えると「これ以上、親に迷惑をかけないでほしい」とも取れる。

不安になりたくない感じが伝わるほど、こちらは迷惑をかけている気分になってしまうのだが、ぶっちゃけ迷惑なんてかけても後でいくらでも取り返せばいいだけの話だから、そこまで気にする必要もない。

迷惑をかけられたくない人ほど心配をしてしまうのではないかと思った次第である。

【圧倒的な不可抗力】
人に迷惑をかけるという罪の重さ。

俺自身、両親や先生から人に迷惑をかけるなと散々、言われてきた人間であり、迷惑なんてかけた日にはクソミソに怒られてきたので、なるべく周囲に迷惑をかけないように現在に至るまで生きてきたが、最近そこまで迷惑 ...

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立ち止まって後ろを振り返る余裕ぐらいは持つべき

ただ今回の両親の主張も無下にはしていない。

おそらく前に前に突き進むことも大事だけど、後ろを振り向く余裕ぐらいは持っておけと両親は言いたかったんだと思う。

本当に心配してるのかと思ったのど同時に、自分を取り巻く人に対する気遣いや今まで自分の支えてくれた人の存在を忘れるなような心のない人間になるなよという親の性根はビンビン伝わってきた。

俺があまりにもお笑いに対して盲目になっていたので、人としての感情が欠落していると感じたのだろう。

一度、立ち止まって周りを気にするという視点を持つことも重要なのかもしれない。

要するにバランスが大事ってことでなんでしょうけど、そもそも過去の俺は周りを気にし過ぎるの自分の性格が嫌で今の思考や行動に至っているので、両親の言わんとしていることはめっちゃ分かる。

分かってなければこんな文章、書けないでしょ(自惚)

死んでいないだけで生きていない

結局のところ散々、色んなことを両親から言われたが俺の心境は変わらなかった。

まあ全く変わらなかったと言えば嘘になるが、良い意味で心が揺さぶられた。

カッコつけるつもりはないが今回、両親と腹を割って話したことで、俺は自分の人生に何かしらの目標を設定しないと生きている実感が湧かないタイプの人間であることを再認識した。

そして俺はいつしか理学療法士としての目標を失っており、生きがいを感じられていなかった。

それが俺のお笑いをやりたいと思った発端だと思う。

個人的に目標のない人生なんて生きる意味がない。死んでるのと同じ。

純粋に情熱迷子を卒業したかった

端的に言うと情熱迷子という贅沢な状態になっていて、理学療法士よりお笑い芸人がカッコよく見えてしまっていて、気づけば俺にも可能性はあるかも?なんていう夢見心地な思考になっていたのは確かである。

情熱を注げられるものがあるだけマシと言われてしまえば、返す言葉もなくなってしまうのだが、少なくとも俺は何かしらに熱中することを人生における最優先事項にしているし、大半の人間が何かしら時間を忘れて打ち込めるものを見つけることで幸せになるとも思っている。

人が絡むと途端に強くなる気質っぽい

思い返すと俺も理学療法士になったばかりの頃は、早く一人前になりたくて必死だったし、何より自分が不甲斐ないせいで患者さんに迷惑を被ったり気を遣われるのが嫌で嫌でしょうがなかったので、自分でも恐いぐらい理学療法の勉強に打ち込んだと思う。

今までろくに勉強なんてしてこなかったのに、患者さんに申し訳ないという罪悪感から勉強することが苦痛ではなくなった自分に正直、驚いたている。

単純に理学療法に対する責任感や探究心も相まってたかもしれないが、このとき俺は自分のためより動くより人のために動くほうが向いていることを実感した。

がしかし自分の中で理学療法士として経験を積み、ある程度の成熟をしていくと俺自身が満足してしまったのである。

【医療職の末路】
理学療法士としての限界を迎えたワケ。

俺は理学療法士として8年間(21から29歳まで)医療現場で働いていた過去がある。 歳月は人を変えるというのはこの事かと実感しているのだが、俺は8年という歳月を理学療法士に捧げたことは自分にとってかなり ...

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打ち込めるものがあったほうが人生は充実する

この頃から承認欲求の質を求め始め、喜ばれることより笑ってもらうほうがやりがいに感じるようになっていき、理学療法よりお笑いへの熱量が上がっていった。

そして俺は一時期、理学療法士としての目標を失ない、晴れて情熱迷子となってしまっていたが、お笑いという人生史上最大のやりたいことが見つかったことで俺は情熱迷子ではなくなった。

情熱迷子だった期間は何をやっても楽しくないし、何のために生きているのかの自問自答をする日々だったので、お笑いという存在には感謝しかない(合掌)

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