正確に言うと29歳なのだが30歳になる年に上京したことや、この記事を書いている時点で既に30歳になってることもあり、なんとなく区切りがいいということで30歳からお笑いを始めたことにしている(どうでもいい)
それまでは理学療法士として8年間(21から29歳まで)医療現場で働いていたのだが、徐々にリハビリに対する情熱が失われていき、終いには生涯を理学療法士として捧げるなんて勿体無くね?みたいな思考になってしまっていた。
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【医療職の末路】
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そんな俺が次なる情熱の注ぎ先に選んだのがお笑いである。
俺にとってお笑いは必要不可欠な存在であり、日々の生活に張りを持たせてくれている存在かつ常に俺の人生の傍らを並走している存在である。
もはやお笑いが俺という人格のほとんどを形成したと言っても過言ではないぐらいの勢いである。
そのくせネタを作ったことは一度もなく、専らお笑いは見る専門であった。
今回はそんな人生を彩る最高のエッセンスであるお笑いをやろうと思った俺自身の深層心理に迫ってみる。
M-1グランプリの影響
専ら、お笑いは見る専門だった。
冒頭にも書いたとおり俺は大のお笑い好きだが、自分でネタを書いてみようなんて考えた事もなかった人間であり、お笑いは見ることしか能がなかったので、芸人になりたいなんて微塵も思ったことはなかった。
今思うと無意識的に無理と決めつけていたけど、心の奥底では芸人への可能性を宿らせていたのかもしれない。
そんな俺がお笑い芸人になろうと思った最初のキッカケはM-1グランプリである。
マイク一本で魅せる世界線
毎年M-1グランプリに俺は熱狂させられていて無意識的にマイク一本でだけ笑かすという制限の中で、どんなものを魅せてくれるのかというハードルを余裕で超えてくる漫才に夢中になっていたと思う。
M-1グランプリの決勝の舞台に立つために、漫才に打ち込んできた漫才師の姿がカッコよくて仕方がないし、マイク一本であれだけ盛り上げられる演芸に毎年、魂を揺さぶられていたのだが、その中でも特に魂を揺さぶり俺を芸人の道へ引きずり込んだのが2020年に優勝したマヂカルラブリーである。
動き主体のトリッキー漫才
マヂカルラブリーの漫才は喋り主体ではなく動き主体の漫才であり、ボケの野田クリスタルさんのダイナミックな動きに村上さんが説明兼ツッコミを入れるスタイルで漫才中、ボケの野田クリスタルさんはほとんどマイクを使っていない。
一般的に漫才は喋りで人を笑かすのだが、マヂカルラブリーの漫才は動きで人を笑かしていた。
そんな動き主体のトリッキーな漫才に俺は魅了されながらも僅かなる可能性を感じていたのを、今でも鮮明に覚えてる。
今の漫才には可能性しかない
本来、漫才はマイク一本で喋りのみで勝負するしゃべくり漫才が主流ではあるが、最近の漫才はそうではなく、多種多様なパターンの漫才が存在している。
しゃべくり漫才は、その名のとおりマイクからほとんど離れず喋りや話術のみで人を笑かす漫才なのだが、今ではしゃべくり漫才から派生した様々は漫才がある。
その中でも一際目立っているのが、コント漫才である。
コント漫才は漫才中にコントに入って喋りだけでなく動きでも笑かす漫才なのだがあくまでも喋りが主体で動きは二番煎じとなっている場合が多い。
とはいえ喋りだけでなく動きでも笑いが取れるコント漫才は既に市民権を得ているし、喋りに加えて動きが合わさることで爆発的におもしろくなる。
がしかしコント漫才でもマヂカルラブリーの漫才ほど動きに全振りした漫才は数少ないし、何より色物扱いされる。
そんな中で優勝するなんて…もうただただ凄いの一言に尽きる。
無知だからこそ出る一歩
マヂカルラブリーの優勝で動きまくり漫才という新しい形の漫才が確立したのではないかと一人で勝手に衝撃を受けていた。
漫才の常識をマヂカルラブリーが動きでブチ壊してくれたことで自分もなんとなくM-1に参加してみたいと思うようになってしまったのだ。
元々、自分は人前で喋るのが得意な方ではないので、専らお笑いは見る専門だったのだがマヂカルラブリーの漫才を見てから、喋るのが苦手な俺でも「動きなら…イケる?」と思うようになり、喋り主体の聞く漫才は自分には厳しいかもしれないけど、動き主体の見る漫才なら自分にだって可能性はあるのでは?(身の程知らず)
今思うとそんな勘違いに自分の人生が一変するなんて思いもしなかった。
心の針が揺れ動いた瞬間
俺にとってマヂカルラブリーの優勝は自分がお笑いの舵を切った人生の重大なイベントであり、マヂラブ優勝がなかったら今の俺はないかもしれない。
漫才の王道であるしゃべくり漫才とは対極にあるうごきまくり漫才だが間違いなく俺みたいに喋りには自信がないけどお笑いをやってみたい人たちに確実に塩を撒いたと思っている。
そして今、俺はその塩の撒かれた土俵に立とうとしている。
これが俺をお笑いの世界に踏み入れる後押しとなった人生のターニングポイントと言っても過言ではない。
突き抜けることで滲み出る魅力
マヂカルラブリーの他にも異彩を放っているお笑いコンビはごまんといて、俺が密かに心を惹きつけられていたのがヨネダ2000というコンビである。
ヨネダ2000は芸歴もまだ浅いのにも関わらず、圧倒的なカリスマ性とズバ抜けた個性があり、その個性がおもしろさを加速させる感じに俺は一瞬で魅了されてしまっていた。
型にハマらず飾らないスタイルで世に出ているのを見て、俺は静かにお笑いへの情熱を燃やしたと同時に俺は強烈な個性に独自の発想力や価値観が掛け合わさることで、とんでもない魅力の塊になるという方程式を見出した。
突き抜けてしまえば芸歴なんて関係ないんだなと思った。
振り切った個性は魅力でしかない
今思うと俺が好きになる芸人は何かしらの強い個性を持っている芸人が多かったので、器用貧乏で五角形のチャートが綺麗な芸人には元々興味がなかったし、未だに1つの事に振り切っている芸人ほどカッコいいしと思っている。
そのせいか五角形のチャートが歪なほどゾクゾクするタチである。
もはやお笑いの多様化という言葉では片づけられない気もするが、これだけ十人十色の振れ幅と受け皿が大きな世界なら、こんな俺でさえも付け入る隙はあるのではないかと思った次第である。
オールナイトニッポンの影響
ラジオだけは絶対に裏切らない。
オールナイトニッポンも俺が本気でお笑いをやろうと思ったキッカケを作ってくれた存在ではあるが、M-1グランプリとはかなり毛色の違う影響の受け方をしている。
M-1グランプリへの影響度をサヨナラホームランだとすると、オールナイトニッポンはクリーンヒットであり、M-1ほどの爆発力はないものの常に安定した心地の良い影響を受けている。
というのも今ではオールナイトニッポンを初めとした芸人のラジオを聞く行為は俺の生活の一部となっているので、常日頃から影響を受けている。
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俺が影響を受けたラジオ
そんなラジオありきの日常が俺のお笑いへ道へ向かわせる追い風となっていて、特にオードリーのオールナイトニッポンはその真髄であり、今でも毎週楽しみに聴いている。
そもそもオードリーのオールナイトニッポンを聴くようになったのはオードリー春日さんの自分磨き(男が行う物理的な扱き)の話がキッカケである。
それまでラジオなんて聴いたことなかったし、テレビでギリギリ放送できる範囲のトークで満足していた俺にとってオードリー春日さんの自分磨きの話は刺激が強過ぎていて今でも、合法ドラッグみたいな存在である。
知らない方は、是非聴いてみてください…飛びます。(下ネタ注意)
ディープ笑いを届けるラジオの世界
オードリーの春日さんの自分磨きの話を聴いてからというものの、そこからどっぷりオードリーのオールナイトニッポンにハマってしまい、テレビではできないディープなラジオのトークに魅了されていた。
今までラジオを聴いてこなかった事を後悔するぐらいオモシロくて、気がつけばオードリーのオールナイトニッポンという沼にズブズブに浸かってしまっていて、今でも他の芸人さんのラジオも片っ端から聴きまくっている。
オードリー春日さんの自分磨きの話をキッカケに、オードリーのオールナイトニッポンを聴くようになったのだが聴けば聴くほど、春日さんより若林さんのトークのが聞き応えがあるように感じた。
二人の掛け合いも勿論、おもしろいが若林さんのトークのほうが奥行きというか深みがあるというか上手く言語化できないのだが聞き応えがある感じがする。
まあ少なからず春日さんより若林さんのトークの方が圧倒的に俺の心を侵食してくるのは確かで毎回、若林さんの独特な着眼点から繰り出すトークは自然と聞き惚れてしまう。
独特な着眼点なのに何故かそこには共感があって、いつも腑に落ちてしまうのである。
この絶妙な信憑性に取り憑かれてしまった俺はいつの間にか若林さんのトークの虜になっていていて、過去の放送をYouTubeで探しては聴き漁り、若林さんの自意識や思考回路に触れていた。
人生で初めて熱烈なファンとなった存在
これほどまでに若林さんの人となりや考え方が気になって仕方がなくなるとは思いも寄らなくて、これがファンになる(?)ということかと自分を疑問視と客観視を同時にしたことを今でも鮮明に覚えてる。
というのも俺は今までの人生で何かのファンになった記憶がない。
なのでファンというものがどういうものか分からないけど、ファンとして応援したい気持ちもあると同時にベンチマークとして人生の目標にしたい気持ちもある。
極論、バリバリ若林さんに影響されまくってる俺は若林さんのような人間になりたいと本気で思ってるし、なにより日常の小さな選択から人生の大きな決断まで若林さんならどうするだろうと勝手に相談させてもらってる。
そんなわけで俺は若林さんの人間的な魅力に惹かれている。
そして俺もいつか若林さんみたいな刺さるラジオをやってみたい。
ラジオをやるためにお笑い芸人になる人も珍しいかもしれないが、俺はテレビよりラジオで深くて洗練された人間の感情に寄り添うような腹を割ったお笑いを追求してみたいというのが本音である。
表面的ではないお笑いへの興味が俺をお笑いの世界へ入る後押しをしてくれたのだと思う。
漫才とラジオの成れの果て
以上が30歳でお笑い上京しようと思ったキッカケである。簡潔にまとめると漫才は独創的でかつ新しい発想に惹かれ、ラジオは核心的でかつ深い共感に惹かれているというわけで、どちらも俺の心は激しく揺れ動いている。そんな魅力しかないお笑いに挑戦しない理由はあるだろうか?いや、ない!